同じ頃、ドイツの思想家であり、「シュタイナー建築」「シュタイナー教育」など幅広いジャンルで知られるルドルフ・シュタイナーの芸術・思想・教育と出会いました。(この教育について学んだことも大きかったのですが、別の機会に書きます。)
まず興味を持ったのは、シュタイナーの「オイリュトミー」という舞踏芸術でした。
ちょうど来日公演があり、その美しさ、ほかの舞踏にはない表現に、すっかり惹かれてしまいました。
やってみたい、と思い、 大阪で活動しているグループがあったので、早速問い合わせて行ってみました。そしてすぐに通うようになりました。
オイリュトミーは音楽をともなうものがあり、多くはピアノ演奏とともに動きの練習をします。
そこは、関西で練習しているオイリュトミーの各グループでピアノを弾いている、ピアニスト達の集まりで「音楽オイリュトミー」というクラスでした。
今学期はベートーヴェンのこの曲、次はシューベルトのこの曲…というようにテーマを決め、全員が交代でピアノを弾き、残りのメンバーが動きをします。
オイリュトミーでは、「踊る」という言い方はしません。バレエのようなエモーションもともないません。
「音になる」、「音を見えるようにする」といいます。
音楽のさまざまな要素、音程、リズム、長調短調など…を表現します。
それは素晴らしく楽しい体験でした。
オイリュトミーの体験で、音を聴く聴き方が変わり、また、演奏するときの音が、空間に広がるイメージもすっかり変わりました。
音楽的な感覚が、ただピアノを弾くだけとは違い、ピアノを弾くときにも「音になる」体験のイメージが確実に広がりました。
身体的パフォーマンスなので、身体の使い方にも学びがありました。
合氣道のように「氣」を見る、と言えば違うけれど、何か共通点もあるような感じもし、しかし日本的なものと西洋的なものの身体パフォーマンスのどこが違うかも面白かった。
武道では丹田(ハラ)の意識が重視されます。一方、オイリュトミーの西洋音楽的な動きでは、胸から動いたり、背中に羽根が生えたような動きがあったりと、日本の動きにはないものです。
ピアノの演奏も西洋音楽ですので、オイリュトミーの動きそのものはとても音楽的なイメージにつながるものでした。
今でもオイリュトミーがとても好きで、小学生クラスのピアニストをさせていただいてきました(今のクラスはこの春までで終了です)。
続きます。