その頃、ふと、本屋で手にした本がありました。
それは、「心身統一合氣道会」(当時は、氣の研究会)の宗主の著作でした。
武道など、興味をもったこともない。そんな本を手に取ることさえ初めてでした。
直感的に、ピアノの演奏に役立つのでは、と感じて、買って読みました。
「臍下の一点に心をしずめ、統一する」「全身の力を完全に抜く」
「身体のすべての部分の重みを、その最下部におく」「氣を出す」
これが四大原則とあります。
シンプルな「氣のテスト」で、心身統一できているかがわかるといいます。どんなジャンルにも役に立つ稽古であると。
本を夢中で読んで、すぐに問い合わせの電話をしました。
今思ってもそのときの行動力が不思議なのですが、あとになってわかることは、それはあらゆる意味で、私の人生にとっての転換点でした。本に引き寄せられた直感は、正しかったのです。
そこは、合氣道の道場でした。
武道というものと全く縁のなかった私が、そこから稽古に通うことになります。
ここで、心と身体の使い方について基本的なことを、本当にしっかりと学びました。
(結局、合氣道の技そのものは、初心者のレベル以上には上達しませんでしたが。)
合氣道のクラスの前に、「統一道」というクラスがありました。そこで、「心身統一」を学びます。あらゆるレベルの人と稽古し、クラスで親しくなった友人や先生たちと、道場を出てもお付き合いが増え、日々全てが学びでした。
何ごとについても「達人」と言われる人は、身体の使い方に上達しています。身体の中心軸がしっかりとあり、余分な力は抜けています。
私も武道的な身体の使い方を知り、見方を学ぶうちに、人の身体の使い方の観察をするようになりました。
見て、立ち方、歩き方、姿勢、物の持ち方、腕や手の使い方はどうか…その状態が、ずいぶんわかるようになりました。
たとえば侍が刀を構えて立つとき、その立ち方、刀の持ち方を見ただけで、その人の実力のレベルがわかるといいます。
現代でもトップレベルのアスリートたちや、ダンスなどのパフォーマンスなどをよく見れば、身体の中心軸や重心、余分な力の抜け方やそのパフォーマンスに必要な身体の使い方が観察できます。上達した人は一様に、動きがしなやかで美しいことがわかります。
反対に、余分な力みや歪みがあり癖になると、身体の不調や老化にもつながる。
身体の使い方が、動きの効率や良し悪し、美しいかそうでないかにつながり、動きをしているときの「ラクさ」「しんどさ」にも違いが出ます。
道場では「重みが下」と習い、稽古します。これを、ピアノの場合どうなるか書いてみます。
ピアノの鍵盤の上に構えた腕なら、前腕部は手の平側からつながる側に、重みがかかります。その重みが自然に指先に、そして鍵盤にと伝わると、美しい音が出ます。
逆に、手の甲側(上になっているほう)にほんの少しでも余分に力が入ると、その緊張が上腕部に伝わり、肩に伝わり、身体がかたくなり、音もかたくなります。
続きます。